2009年08月20日
【ウラ物語VOl.19】つくることは、生きること

第4部 未来 ※第1部はコチラ ※第2部はコチラ ※第3部はコチラ
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第1話 (8月19日) つくることは、生きること
最終話(8月21日) 2020年、開催前夜
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2009年5月のゴールデンウィークの最終日のことだった。
ウラ物語の行き着くところは、
この日から決まっていたんじゃないかと思える。
12歳の若さで亡くなった本田紘輝君の展覧会を見た日である。

紘輝君は、小児がんという病気にかかり、
短いその人生の日々の多くを病室で過ごした。
そして、亡くなるまでにたくさんの絵を残した。
「病気に負けない」「強くなりたい」
という思いが、ストレートに彩色と線に現れる。
病気で苦しくて、痛くて、学校にも思うように行けなくて、
そういう状況で、新しいものが作れるということに、
鳥肌がたった。
何かをつくるには、投げやりな心じゃ絶対つくれない。
最後までつくり続けた、ということは、
生きることを、最後まで諦めなかったということだ。
いつも死と隣合わせだった紘輝君が、
ビデオの中で問いかける。
「人は、死んだらどこに行くの?」
どこから来て、どこに行くのか。
いつかこの世を去るのに、何で生きるのか。
この日、猛烈に、思ったのだ。
私、つくらなきゃ。
生きているなら、つくらなきゃ。
何を?誰のために?
限りある人生で、私は誰に、何を伝えられる?
その展覧会に出会うまで、自分の人生は色んなことができると思っていた。
でも、何なら一番魂が伝えられるのか、
27年間考えることもしなかった。
ゴールデンウィークがあけて数日後、
応援隊の決起集会があった。
「甑島で、つくる」KOSHIKI ART EXIBITIONの応援隊―。
このプロジェクトを伝え、その裏の物語を伝え、
つくることと、生きることを、今の自分が持てる力ギリギリいっぱい使って
書いてみたかったんだ。
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2009年08月21日
【ウラ物語最終回】2020年、開催前夜

第4部 未来 ※第1部はコチラ ※第2部はコチラ ※第3部はコチラ
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第1話 (8月19日) つくることは、生きること
最終話(8月21日) 2020年、開催前夜
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午後7時。
ようやく日が傾き始めた頃。
まだまだ外は明るいけれど、きっと今日も深夜まで事務所の明かりが消えることはないのだろう。

ここのところ連日連夜、朝まで事務所の明かりが消えるのを見たことがない。
純子は、自分の子どもたちを家族に預けて差し入れを持って家を出た。
明日は、第13回じょうやま音楽祭であり、
第17回KOSHIKI ART EXHIBITION開催初日である。
じょうやま音楽祭では、上甑島~下甑島まで
それぞれの地域に伝わる伝統芸能が一同にやってくる。
同じ甑島なのに、こんなにもカラーが違うのか!と
驚かされる多彩な演目の数々に、来場者数は年々うなぎのぼりだ。
スタッフ達は、宿の手配から本番のタイムスケジュールまで忙しい。
忙しいのは若いスタッフだけじゃない。
小さな島にたくさんの人がやってくるので、島のみんながフル動員だ。
字が達筆な近所のおじいちゃんは、甑島各所からやってくる演者たちに手紙を書く。
たくさんの道具を抱えてやってくる演者たちが、
宿について一番に目にするのは、心のこもったおじいちゃんの手紙。
温かい御礼とねぎらいの言葉は、長旅の疲れを癒し本番への力をみなぎらせてくれる。
子どもの面倒がみるのがうまいおばちゃんは、臨時託児所をつくる。
小さな子どもを連れてやってくる島外の人たちも、
安心して夜遅くまで開かれるじょうやま音楽祭を楽しむことができるようになっている。
最初は、日常の仕事に加え、さらに別の仕事が
島民の皆さんにかかることをスタッフ一同不安に思っていた。
でも、キラキラした島の方々の様子に
今では安心してお願いできている。
「字を書くことは、僕の生きがいだから。
これで誰かが喜んでくれるのなら寝たきりになっても続けたいよ」
活き活きと筆を握る島のおじいちゃんにつられるように、小さな孫たちが、その隣で墨をする。
「いつかは、おじいちゃんみたいにきれいな字を書いて、島で書道教室を開きたい」
1人のキラキラした夢は、またその周りへと小さな波紋をひろげている。
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西の浜に沈んでいく夕日を見ながら道を歩いていると、
事務所に向かう途中で、スペイン人のエレナに会った。
彼女は甑島の空き家に年間を通して滞在し、制作活動に励んでいる。
「どこに行くの?」
純子が尋ねると、「盆おどり」と彼女が答える。
日本語がだいぶうまくなってきたとは言え、
母国語のように自由に使いこなすには時間がかかる。
言葉を超えて島民とひとつになれる「盆おどり」は、
外国からやってきたアーティストとの大事なコミュニケーションツールなのだ。
お寺では、明日のじょうやま音楽祭に備えて、
アーティストも島民も勢ぞろいで盆おどりの練習真っ最中のはずだった。
2009年の8月15日によみがえった盆おどりの歌と踊りは、
あれから約10年たち、島のみんなに浸透している。
「明日はいよいよ本番だね。作品の準備はできてるの?」
「ここ数年で一番いいのが出来たよ。明日の展覧会には、
『パトロンになりたい』ってメールをくれた人も来るの。
きっと満足いく作品が見せられると思う」
アーティストが、この世界で自立していくのは難しい。
でも、島の安くで手にはいる豊かな食生活や、安価な家賃は
アーティストの卵が育っていくにはありがたい環境なのだ。
さらに、島の豊かな自然と静かな夜は、
アーティストのインスピレーションを刺激し、
なおかつ、集中して制作に没頭できる至福なひと時を提供してくれる。
島に年間を通して滞在するアーティストの数は現在5人。
2年前から始まった動きだが、国内外を問わず視察も多く、
来年からはまた受け入れ人数が増えることが予想される。
「林太郎は明日帰ってくるの?」
と、エレナが尋ねる。
「今日の夜帰ってくるよ。もう島には着いてると思うけど。」
林太郎は、ヨーロッパのレジデンスとの連携をはかるため、1週間海外に出かけていた。
連携が進めば、ヨーロッパのアーティストが「制作に集中したい」と考えた時、
彼らに滞在場所の選択肢として「甑島」を提示できるようになる。
林太郎は、KOSHIKI ART EXHIBITIONが開かれる8月は基本は島にいるけれど、
他の準備期間は、各地の展覧会を企画するキュレーターとして忙しく動きまわっている。
国内外問わず、たくさんのアーティストと出会う彼は、
日本のはずれのこの島に、常にアートの最先端の情報を流してくれている。
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エレナと別れて、事務所に入るとそこには大勢の若いスタッフでごった返していた。

専従スタッフは、純子含めて3名。
行政や財団からの助成金と企業からのスポンサー費用、
展覧会で販売されるグッズやチケットの売上、などが主な収益源となり、
有給のスタッフを雇えるようになった。
事務所にごった返しているのは、全国から集まってきた
「キビナゴ隊」と名づけられた応援隊部隊だ。
多忙を極める展覧会の時期に、日本各地からやってくる。
美大生や、「自分の地域を元気にしたい」と夢みる若い人たちが、
勉強をかねてボランティアとして動いてくれている。
島の中学生や高校生も、夏休みを使って「キビナゴ隊」と一緒に動いて回る。
何年もかかわる島の子どもたちは、島外の大学生とも肩を並べて話し合いに参加し、
時には先頭にたって指示を出す。
専従スタッフはできるだけ、「キビナゴ隊」の動きは、
島の若い子たちに任せるようにしている。
「キビナゴ隊」は、次の島の担い手を育てるのに、うってつけの教育機関だからだ。
「差し入れ、ここに置いておくね」
できるだけ邪魔にならないように、机の上におにぎりを置いて近くのスタッフに声をかけた。
「ありがとう、純子ねえちゃん」
小さい頃からずっと見ていた近所の弟分が、
見違えるようにしっかりした顔つきで汗水流して働いている様子に涙が出そうになる。
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事務所を出ると、外はすっかり暗くなっていた。
今日は、昔からこのプロジェクトに関わる友人たちを集めての、
ささやかな前夜祭が開かれる予定だった。
前夜祭、と言って作業をしながら、の会なのだけど。
場所は、幼なじみの友人が開くカフェ。
彼女の美味しいケーキを食べながら、思い出話に花を咲かせるひと時を想像すると、
心の底からワクワクした。
ドアをあけると見慣れた顔が飛び込んでくる。20人弱。
もともとは、甑島スタッフ、鹿児島の応援隊スタッフ、という区切りがあったはずなのに、
10年も付き合えば、仲良くなりすぎてどっちがどっちだったかよく覚えていない。
「みんな準備してた?」
「がんばってたよ。毎日夜遅くまで、みんなずっと働いてるよ」
「うちらも、よく夜中まで会議したよね」
「忙しすぎて、寝る間がなかったよ(笑)
うまくいくかどうか、不安になる時もあったけど、心配したり苦労したりするから、
その後の喜びが2倍になるんだよね」
17年前に始まったKOSHIKI ART PROJECT。
あの当時20歳だった林太郎も、37歳。
17年前は、誰もが「ありえない」と思ったことの数々が、
ひとつひとつ目に見える形となって実現されてきた。
島の方々、島外の方々、感謝の言葉を言おうとしても
誰から名前を挙げていけばいいか分からないくらい、
たくさんの方にお力を貸して頂いて、今がある。
「これが、純子の分だから」
と、ケンタから山のような名簿が純子の前に差し出された。
ケンタは、島で景観デザインをメイン業務とした株式会社山下商店を経営している。
名簿は、ケンタが会社の印刷機で刷り上げてきてくれたものだ。
この名簿は、報告書の送り先の宛名である。
過去にお世話になった方々に、毎年展覧会の報告書を送っている。
心をこめて、一筆添えるのだが、あまりにも数が膨大なので、
展覧会が終わる前から皆で集まってメッセージを書くのである。
懐かしい気持ちで、2009年の名簿をめくった。
あの日、あの時、ブログに何度も書いた、
皆様お一人おひとりの名前をかみしめる。
何度ありがとうございました、と言っても足りないくらいに、感謝の気持ちが湧き上がってくる。
明日は、島の若い子達がはじける笑顔と涙を見せてくれるだろう。
連日連夜寝ずに走り回ったことも、時に喧嘩したことも、時に落ち込んだことも、
すべてが吹き飛ぶ最高の瞬間が、きっと彼らを待っている。
そして、いかに多くの人に支えられてやってきたかを、
心の底から知るに違いない。
だって、自分たちがそうだったんだもの。
窓の外に光る満天の星空を見ながら、
明日晴天の中で、若者たちの笑顔が見られることを願った。
自分がいなくなった何十年あとも、
この句の光景が、甑島の夏を彩る日が続きますように。
「荒波に もまれ美し曲線の トンボロの地に 若き玉石」
2009年8月22日。
第6回KOSHIKI ART EXHIBITION、そして、第2回じょうやま音楽祭。
とうとう明日、開催-。
【ウラ物語】
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私は応援します、甑島でのKOSHIKI ART PROJECT☆彡って方、
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